待つということが嫌いだ。
まだか、まだなのか。
早くどうにかしてほしい。
期待と不安が入り交じる。
なんとなくそわそわして、落ち着かない。
人混みの中で一人だけみじめな思いを噛み締めてるみたいだ。
「ごめん、待った?」
「……待った」
駅の改札口で不機嫌そうにこっちを見上げたのは京本明里。
クラスに一人はいる、地味めの女子だ。
ただ、こいつは群れない。
往々にして女という生き物は群がりたがるものだが、
この3年間彼女は孤高の人だった。
ハブられるとか、無視されるとか、いじめられているわけではない。
彼女ひとりが、世界を切り捨てている。
そういう、危うさ。
人に懐かない野生の獣みたいな雰囲気がある。
「悪かったよ。バイトが長引いてさ」
ありきたりな言い訳を口にしている男は、佐波皆戸という磯の香りが漂ってきそうな変な名前の同級生。
貴重な休日に、なぜこんな奴と待ち合わせをしているかというと、
ちょっとした弱みを握られているからだ。
探している漫画があった。
あちこちの本屋を巡り、ようやく見つけた。
その嬉しさに警戒を怠っていたのだ。
急いでレジに持っていくと、店員がこうのたまった。
「あれ、京本さんじゃない?」
見間違いであって欲しいと思った。
なぜだ。
……なぜ、なぜこんなにマイナーな本屋さんに同級生が働いているんだ。
赤面を通り越して顔から火が出そうだ。
ちら、とレジに置かれた漫画を見て、今度は佐波が固まった。
「……」
「…………」
気まずい沈黙が流れる。
ふたりの間にあった本は、成年コミックス。
何年か前に出た、知る人ぞ知る作家の、デビュー作を収録した本だった。
(いや、BLとかじゃないだけ全然許容範囲なんだけど)
意外だ。
孤高の女京本でもこういうのを読むのか。
しかもこれ、中学生が延々痴漢される話だぞ。
色々考えながら、レジを打つ。
これまで一度もやったことが無いくらいの速さで本にカバーをかけ、
袋につめる。お金を受け取り、お釣りを渡す。営業すまいる。
ああ、俺の頬は赤くなっていないだろうか。
京本は真っ赤になって本を受け取り、足早に店から出ていった。
(なんであんな所に佐波が……!?)
物欲とは恐ろしいもので、ちゃっかり成人漫画を買ってきてしまった自分が怖い。
あんな口の軽そうな男に、見られてはならない姿を見られてしまった。
(脅迫されたらどうしよう)
もし私が佐波の立場なら、間違いなく脅迫するだろう。
公表されたくなれば従え、というアレである。
ベタだ。
写真とられたりネットにばらまくぞと脅される。ベタすぎる展開が次々に浮かんだ。
しかし、自分の身に実際に起こるかも知れないと考えると、笑えない。
翌日、教室内の京本はいつも通り孤高の女だった。
他を寄せ付けず、淡々と読書にふける。
(じつは官能小説読んでたりすんのかなぁ)
佐波はぼんやりと想像した。
(でも、流石にそれはないか。内心焦ってるだろうし……)
偶然とはいえ、彼女の弱みをにぎってしまった。
ここで男のとるべき方法は二つに一つである。
1、誰にも言わないと誠意を見せる。(株を上げる)
2、言われたくなければ従えと脅してあんなことやそんなことをする。
……迷いどころである。
赤面していた京本を思い出す。
(無愛想を装ってるだけだったのか……)
なんだか奇妙な感じがする。
教室の中で自分一人が京本の秘密を知っている、という優越感。
こんなに美味しいネタ、使わずにいれる奴がいるかってんだ。
昼休みを告げるチャイムが鳴った。
京本が席を立つ。
こっそりと追いかける。
弁当箱と本を片手に、屋上までやってきた。
(ふぅん。いつも、こんな所で飯食ってたのか……)
「や、きょーもとサン」
ひょいと片手をあげ、佐波皆戸が現れた。
「…………何の用」
眼鏡の奥の瞳が、わずかに細くなる。
「きのうのことなんだけどさー」
「!!」
途端に京本は赤面した。
「あれ、何かのプレイだったわけ?」
佐波は、ニヤニヤしながら訊ねてきた。
(つーか、プレイて)
無論、一人羞恥プレイなどではない。
「……違うに決まってんでしょ。何その発想」
「そーなんだ。色々想像しちゃったよ」
安心した、などと言いながら売店で買ったらしいパンを食べ始める。
京本も気まずそうにもそもそとお弁当を食べる。
ようやく懐きはじめた小動物のように、どこかぎこちない。
「想像って、何」
京本が口を開いた。
「たとえば。京本サンには暴力を振るう引きこもりな兄がいて、逆らえずに泣く泣く買いに行かされたとか」
「私、一人っ子だけど」
「そーなんだ。ひとりっこって響きがエロいよなぁ」
佐波は相変わらずにやにやしている。
この男の頭の中にはぬかみそでも入っているのだろうか。
「あ、あとはネットで知り合ったご主人様がいてだな、
そいつの命令で買いに来てたとか」
「……漫画の読み過ぎ」
淡々と切り返しているようで、内心動揺しているのが手に取るように分かった。
(ああ、やばい。たのしい)
京本は、まな板の上の鯉だった。手の平の孫悟空だった。
「欲しかったから買いに行った。それだけ」
これ以上妙な想像を聞かされるのも嫌なので、開き直ってみた。
「なるほどねー」
むぐむぐとカレーパンを咀嚼しながら佐波は言う。
「京本サンって、変わってるな」
ほっといてくれ。どうせ私は社会不適合者だ。
他人とちゃんとした関係が築けない奴は一人で生きていくしかないんだ。
「来週の日曜さ、映画見にいかねぇ?」
……何をどうやったらそんな流れになるのか。
「なんで?」
「評価が微妙すぎる作品だから、誰かと行きたいんだよね。
もし行かないなら……」
「ばらすぞ、って事か。行くよ」
京本は約束を守った。
そして今、しかめっ面でスクリーンを睨み付けている。
何を危惧してか、ひとつ空席をはさんで隣りに座っている。
(うーん、ハズレだ)
近年まれにみるハズレっぷりに驚いている。
ここまでハズレだと、いっそ清々しい。
映画が終わった後、虚脱感におそわれながら駅前のファミレスで飯を食った。
「……なんであんな風にしちゃったのかねぇ」
「分かんない。汲むべきところもあったよーな気はするけど……」
ううむ、と二人して考え込んでしまう。
「美味そうだね、チーズハンバーグ」
「いる?」
京本がぼんやりとこちらを見る。
「一切れちょうだい」
「じゃあ変わりにその鶏肉、おくれ」
京本がナイフで切った鶏肉を鉄板に置いてくれた。
すごい。物々交換に成功した。
「うぅ、佐波に道連れにされた……」
ファミレスを出て、夕暮れの街を歩いていると京本が恨み言を呟く。
どうやら気を抜くと先ほどの映画を思い出してしまうらしい。
「悪かったよ。でもさ、つまらないものを分かち合うってのもいいじゃないか」
……前向きだ。
すごいぞ、ぬかみそ男。
「分かち合うなら、もうちょっと良いものにしてほしい」
「じゃあ今度、俺の秘蔵のエロ本を貸してやろう」
「…………」
ありがたいような、そうでないような。
「安心しろよ、ちゃんと二次元だ」
(ちゃんとって何、ちゃんとって!?)
つっこみたかったが、三次元のおねぇさんにはあまり興味がないのも事実だ。
自分の身体で事足りている。
「佐波は、変なやつだ」
「京本サンには言われたく無いなぁ。また明日ね」
「……また明日」
奇妙に心地よい言葉だと思った。
ただ憂鬱なだけだった月曜日が、少しだけ意味を変えたような気がした。