親の顔なんて覚えていない。自分がいつからこういう境遇にいるのかも忘れてしまった。
ただ、自分にはその頃「姉」がいた。
血のつながりは無いのだろうけど、とある路地裏で死にそうになっていた時に助けてくれたのが彼女だった。
「あはは、今日もかっぱらってきてやったわ!」
盗みが得意で、いつも気付かれる事なくありとあらゆる物を盗んだ。
浮浪児なのに妙に小綺麗な格好をしていて、これまたどこかから盗ってきた高級品、眼鏡をかけていた。
たぶん女性用では無いと思われる、がっちりした黒フレームのそれは不思議とお姉ちゃんに似合っていた。
「私達は糞ったれな世の中に生きてるけど、どうせ生きるなら楽しく生きないと、ねぇ?」
などと、家も金も無いのに幸せな事を言っていた。
まったくもって前向きな人だった。一度、なぜ自分を助けてくれたのか尋ねたことがある。
姉の答えは簡単だった。
「放っとけないなぁ、と思って」どこか憎めない笑顔でそう言った。
「・・・・それだけ?」
「うん。普通そういうもんでしょ?死にそうな人が目の前にいたら誰だって助けたいと思うでしょ」
世の中の大抵の物はくだらないけども、人の命だけは別だという奇妙な哲学を、お姉ちゃんは持っていた。
ちっとも自分に理解できない部分も含めて、グラシィはその姉が好きだった。
姉と一緒に過ごした時間は、かけがえのない物だったと思う。
それは多分“幸せ”と言っても過言ではないような、大切な時間だった。
幸せな時間に終わりが来たのは、ある街で奇妙な少女を見た事がきっかけだった。
「あの子・・・どうしたんだろ?」姉が指差す先を見てみると、
燃えるような赤毛の少女が誰かに手を引かれながら歩いているように見える・・・・・
が、その“誰か”が見えない。
「・・・・・なんだろね?でもああいうのには関わらない方が良いんじゃない?」
グラシィはいつでも保身を第一に考えていた。
「相変わらず事なかれ主義ねぇ。気になるじゃない!」
いや、自らトラブルに首を突っ込む意味が分からないだけなんだけど。
「んじゃあ、後でもつけてみる・・・・?」溜息混じりに、グラシィは提案した。
「そうこなくっちゃ!」
幸い、赤毛という目立つ髪の色なので見失わずに済んだ。二人はこっそりと後をつけた。
あまり人が通らない、何となくさびれた道を赤毛の少女は歩いていく。何かに導かれるようにして。
古びた屋敷の扉が開き、中の男が少女を迎え入れる。そして扉が閉まった。
「なんだろ、招待されてたって事?」
「でも、見えない同行人は何だったのかしら・・・・・何だかこの屋敷、怪しくない?」
暫く待ってみたが、少女が出てくる気配は全くない。「ずっとここで見張るの?」
「うーん、どうしたもんかねぇ・・・・とりあえず、今日の所はさっき見つけておいたねぐらに戻りますかね」
翌朝、好奇心旺盛な姉は街の人に聞き込み調査をしていた。
「ちょっとすみません。あの屋敷には、どんな人が住んでるんですか?」
素朴な疑問、という感じで通りすがりのおばさんに話しかけた。
「人形師が住んでるらしいけどね・・・変わり者なんだ。」
「変わり者、というと?」
「お日様が出ている時間帯には外に出ないんだよ」
どうだ恐かろう、と言わんばかりにおばさんはひとさし指を立てて言った。
「夜行性な人なんですかね」
「さぁてねぇ・・・・・一体どんな奴が住んでるのか分からないから、気味が悪いったらないよ」
「いつの間にかあの屋敷に住み着いていたんだよ、あの男は」
露店で宝飾品を売っている男が会話に加わってきた。
「誰も気付かないうちに・・・?」
「そうさ、いつの間にか居た、そんな感じだったねぇ」
「なんにせよ、不気味だよ。関わらない方が良いと思うぜ」
「あの屋敷に女の子が入っていくのを見たんですけど・・・・」
姉がそう言うと、おばさんも男もきょとん、として
「見間違いじゃないのか?」
「気のせいじゃないのかねぇ?」と首をかしげていた。
どうやらこの人達は見た事が無いらしい。
「街の人でさえ見た事が無いって事は・・・昨日うちらが見たのも見間違えなんじゃない?」
「ふたりして見間違えるなんて有り得ないでしょ!」
「うーん、そう言われると確かにそうかなぁ・・・・」
「人形師か・・・」
姉がそう言って黙り込んでしまったので、グラシィも昨日ちらりと見た人形師の姿を思い浮かべる。
たしか髪は黒かったような気がする。
目の色までは見えなかった。細身の身体で驚くほど肌が白かった。
「嫌な感じがする。身を引いた方が良いんじゃない?」
聞く姉ではないと分かっていながら、一応言ってみた。
「うーん・・・・それじゃ、あと5日だけこの街に居ようか。
5日間で赤毛か人形師に出会えなければ身を引くわ!」
姉はウインクしながらそう言った。相変わらず、どこか憎めない笑顔で。
「おかしい、なぜ何も起きないんだ・・・」男はぶつくさ言っている。
親指の爪をがりがり噛みながら部屋の中を歩き回っている。
壁際の棚の上には、彼が作った13体の生き人形が並んでいる。
「もしかして・・・1を13にするんじゃなく・・・13を1にしてしまえば・・・・」
男のそんな様子を、部屋の隅に座っている少女はただ眺めていた。
まるで人形のように豪奢な衣装に身を包んだ少女は思った。
この人形師は、狂っている。
彼女もそのことは分かっている。しかしどうにもできない。
『君は僕を失えば、永遠に誰からも愛されることはない―――』
その呪詛のような言葉をいつも人形師に言われていた。
狂った人にしか愛されないということは、きっと私も狂っているんだ。
わたしはお人形。あの人のお人形。それ以上でもそれ以下でもない。
棚に並んだ十字架の少女達と一緒だ。
あの可哀想な少女達と同じ。
彼女の胸元には・・・・逆十字があった。男が彼女に刻みつけたものだった。
それは消えない傷。治りかけた頃にまたつけられるから。
彼女が狂った人形師の所有物である証。
「そうか・・・・君を器にすればいいんだ」
人形師は一筋の光明を見たような眼差しで、エスティタートを捕らえた。
「うつわ・・・?ど、どういう事!?もしかして私に・・・・十三臓器を・・・?」
人形師はこれまで作った13体の人形に、一つずつ臓器を残していた。13体合わせて十三臓器になるように。
こんどは入れるつもりなのか?
私を殺して、内臓を掻きだした後に、これまで殺した少女達の臓物を・・・・
なんだか考えただけで気分が悪くなってきた。
『13の贄を捧げよ、されば邪神が舞い降りる――――』
人形師が求めていたものはそれで、
だけど十三色の髪と目の13体の生き人形を作ってもそんな物は現れなかった。
だから、男は狂ったように爪を噛みながらずっと考えていたのだ。
自分が何を間違えているか。
どこでつまづいているのかを。
「待って、それって、私をこ・・・殺すってこと?」少女は思わず椅子から立ち上がった。
「だって今まで素体を連れてきたり・・・い、色々手伝ったりしたじゃない!」
人形師はじっとエスティタートの顔を見ていた。
何に狼狽えているのか分からない、といった眼差しで。
「そうだね。君は大いに役に立ってくれたよ。その“他人の意識の外”に存在できる力には助けられた・・・・」
赤毛の少女の手を引いていたのは、何を隠そうこの少女であった。
「じ、じゃあ何で今更そんなこと言うの?やだ、やめて!」
両肩に手をかけて、怯える少女へ男は微笑みかける。
そして耳元でささやく。
「愛しているよエスティタート。だから、僕のために死んでおくれ」
エスティタートと呼ばれた少女は、男の身体をつきとばした。
反射的に身体が動いた。死にたくない!
「いやだっ!来ないで!!」
がたがたと身体が震えた。
「・・・何で逃げるんだい?あんなに可愛がってあげたじゃないか」
男は出口を塞ぐようにして立ちはだかる。
「恐い事なんてなにも無いよほら、おいで。やさしくしてあげる」
男は笑っている。
その瞳はぎらぎらと血走り、何かに取り憑かれたかのように怪しく光っている。
今まで自分を所有してきた男の本性を、初めて目にした気がした。
いつも彼は素体を連れてきた後、彼女に工房の出入りを禁じた。
彼女は逆らわなかった。
自分が生きるために他人を見殺しにした。これはその報いだ。
エスティタートは小さく祈った。
(我が身は虚無、心は闇の挾間へ失せよ)
この男は勝手に彼女の力は自分に通じないと思っているようだが、それは間違いであった。
彼女は混乱していても、いつも通り力を使う事ができた。
それは認識外呪文と呼ばれる、失われた魔術。
視界から少女の姿が消えた事に気付き、人形師は狼狽した。
ばかな。
がちゃり、背後で扉が開く音がした。
「エスティタート!?」
お前は僕に嘘をついていたというのか?
ずっと騙していたというのか!?この僕を。
愛していたのに。あんなに。誰よりも君のことを。
エスティタートは振り返らない。
雨の中をひた走る。
逃げようと思えばいつだって逃げられた。
彼女はただ、誰からも愛されない自分を自覚するのが嫌でここから離れなかっただけ。
その目からは無意識に涙があふれていた。
さよならマスター。
振り向かないわ私。私は自らの意志で道を選ぶ。
あなたは狂った夢の中で永遠に生きれば良い。
雨音が激しくなる。
ああ、彼女は行ってしまった。
彼が愛した美しいものは、この部屋を出て行った。
(愛していたのに・・・・)
どうしてだ?
彼はただ彼女が去った扉の向こう、外へと力なく歩き出す・・・