それは誰の身にも平等に降り注ぐもので、逃れようとしても無駄。
  前触れも何もなく、いつの間にかすぐそこにある。

  ほら、背後に。

                    

はじめの4日は何事もなく過ぎた。
最後の日も何事もなく過ぎてくれれば良いとグラシィは密かに望んでいたのだが・・・
運命は、彼女たちを逃さなかった。

5日目の夜は、雨が降っていた。
人形師の屋敷の近く、空き家の軒下でいつものように見張っていると、突然扉が開いた。
しかし人影らしいものはどこにも見えない。
「何・・・?」ふたりとも、夜目がきくが全く分からなかった。
「さ、さぁ・・・・分かんない。黒猫とかじゃない?」
透明人間なんて居るわけ無い。
「でも、姿見えなかったよね・・・?」
「う、うん」
二人がなんとなく怯えていると、ふらりと外に出てきた人影があった。人形師だ。

「そこのアンタっ!あの女の子をどうしたのよ!?」
姉は勇敢にも、その幸薄そうな男に向かって怒鳴った。
「・・・・何だい、君たちは」
 怪訝そうにこちらを見たその男の目は、どことなく蛇を連想させる冷たい灰色をしていた。
「どこにでもいる浮浪児だけど」なんか文句あっか。
「女の子・・・・?」
「しらばっくれる気?見てたんだから、5日前に女の子がこの家に入る所っ」
 男の目に驚きの色が浮かんだ。
「あの赤毛の子、人形にしちゃったんじゃない?」
それは、実に当てずっぽうな、恐れを知らぬ推理であった。
恐らく本人も当たっているなど、夢にも思わなかっただろう。
そしてこの発言が、自身の運命を大きくねじ曲げてしまう事など、考えもしなかったはずである。

「・・・・・知られたからには、生かしておけないなぁ」
ぞくっ、と肌が泡立つ。男の周りの空気が変わった。
宵闇が辺りを包んでいる。月は無く、空から落ちてくるのは無数の雨粒。
(やばい、逃げ・・・・)
「時刻む振り子、命の火、凍てつけ」
その言葉を最後に、彼女たちの意識は途切れた。



―――声が聞こえる。
どこから聞こえているのか分からない。
近いような、とても遠いような
『グラシィ・・・逃げて・・・』
 何を言ってるのお姉ちゃん?どうしてそんな事言うの。
『わたしは、もう駄目・・・アンタの言う通り、関わらない方が良かったみたいね・・・』
 なにがあったの?
『悪い姉ちゃんだったなぁ私・・・・ごめんねグラシィ。あんたは・・・幸せになって』
 まって、なに言ってるの!?
声は遠ざかる。
そして彼女の意識は再び闇の中に落ちていった。

痛い。
目を開く前から、ずきずきと疼くような痛みを感じていた。
ひどい不快感と共に、彼女は目を覚ました。
雨音が聞こえる。
横たわったまま胸元を見ると、ナイフで斬られたような十字の傷がつけられている。
おそるおそる足下を見る。
太ももに流れている血が、自分の身に何が起きたかを理解させた。
――――自分は、一生消えることのない傷を負ってしまった。
絶望と同時に沸き上がってきたのは怒り、だった。
どのくらいの間気を失っていたかは分からないが、まだあの男はいるようだ。
声が聞こえている。ブツブツ譫言を言いながら自分が姉と慕った人間を犯している。
いいや、違う。

   (お姉ちゃん・・・!!)

その目にはもう、光が宿っていない。だが見開かれた瞳から涙がこぼれ落ちた。
・・・姉がいつか言っていた言葉を思い出した。

 「この世で一番やっちゃいけない事は、死体に悪さすることだと思うなぁ」
  どうして?
 「だって、魂が失われたとはいえ、まだ人の形をしてるんだよ?そういうものに悪戯にしたら
  罰があたると思わない・・・?」
  お姉ちゃん、神は居ないって言ってなかった?
 「そう、この世にはそんなもの居ない。居たら私たちみたいな子供は存在しなかったはずよ」
  罰を下すのはじゃあ、誰なの?
 「・・・だからきっと、居るのよ。存在しない神の変わりに手を下している何かが」
  自分が死にそうになった時に、確かにそいつは現われたのだ。
  はっきりと覚えていないが、確信がある。
 「生と死とを繋ぐ何かが、人知れず世界を彷徨っているんだわ、きっと」
  それは一体なに・・・?

 「実在する伝説、十三の要じゃないかなと私は勝手に思ってる」

十三の要・・・
それが何のために世界に存在するのか誰も知らない。
確実なのはいつの世にも必ず実在して、世界の成り行きを見ている。
そう、彼らは権力者になるでなく、その力を行使できる場で・・・
世界の片隅でひっそりと働く、神のしもべ。

お姉ちゃんの涙が床に落ちた。
玻璃の球が割れるように見えた。
いっしょに私の心も割れてしまったみたいだ。
力が欲しい。
お姉ちゃんは逃げろと言った。
そんなことできるはずがない。この男を許せるはずがない。
悲しみより強く彼女を支配したのは怒りと憎悪。
なぜ、日常を壊されなければならなかったのだろう。
死者をもてあそぶ権利がこの男の何処にあるのだろう。
ちからがほしい。
悪魔に魂を売ってもいい。代償になにをとられてもいい。
なんの力も持たないこぶしを血が出るほど握りしめた時、頭の中に声が響いた。

『受けよ、神代の力――――』

なにかが身体の内側へ入ってくるのを感じる。膨大な力の渦・・・
年月を重ね、心を吸い、より重く強力になった「この世にあらざる力」
イメージが流れ込んでくる。夜を翔ぶ、翼持つもの。闇の中、みえざるものを視る瞳。
境界を分かつ・・・生と死の調停。
『――――これは公の力。私的な事には使えない』
馬鹿な。
自分の大切な人ひとり救えなくて何が世界の要か。
しかし彼女は気付いた。
今この力を得たということは、この男を裁く事が出来るということだ。
国の裁きも法の裁きも生ぬるい。
この腐れ外道を叩き潰すことが出来る。
たった今この身に宿った、人に有らざる力で。

人形師は姉の身体を机の上に横たえた。その手にはナイフが握られている。
そして姉の白い胸に十字の傷を―――
(させてたまるかっ)
咄嗟に男の手に向かって水晶の刃を放つ。
「っ!?」
ナイフが音を立てて工房の床に落ちる。
右手に貫通した刃を見、次に男は水色の髪の少女を見つめた。
なぜ。確かに殺したと思ったのに。
それにしても、この手に刺さっているのはなんだ?
困惑の表情を浮かべる男の背後の棚に、5日前見かけた赤毛の少女の人形があった。
いいや。人形ではない。少女が居た。
(命の火・・・魂を凍らされている)
調停者の目は魂を視る。
13人・・・・抗うこともできず、犯され、無惨に殺されていった少女たち。
グラシィを捕らえようとする男の手をかいくぐり背後に回る。
振り向いた男が足を上げようとする。しかし動かない。
「・・・?」わけのわからぬまま男は前のめりに倒れた。
爪先を覆うように力を結晶化させていた。
そして、殺された少女達の無念を背負うように、少女は立っている。
男と目が合った。
グラシィはその手に持った水晶の刃を握りしめ、床を蹴った。
迷いはない。懺悔の時間なんかやらない。
ここでこの男を仕留めなければならないと、本能が告げていた。

彼女に「物体の急所が見える」という能力が目覚めたのは、この時である。
のどに赤い点のようなものが浮かんでいた。
それが何かも分からないまま、点に重なるように刃を突き刺した。

満身創痍の少女は、恐れを上回る怒りでもって真っ直ぐ彼へ向かってきた。
まよわずに喉を一撃。間近で見たその目は、水晶のように冷たい。
激痛がはしった。
なんだこれは。何をされている。ほんの一瞬そんな事も思ったが、
眼前にあるものを見て彼は歓喜にうちふるえた。
その心の内にあるのは死への恐怖などではなかった。
(美しい・・・・)
その少女はもはや感情を、絶望を突き抜けた所にいる。
彼が作り続けた人形たちのように!
次々に繰り出される攻撃で、身体に傷が増えていき、血が失われていくのが分かる。
しかし彼は少女の胸元に、自分が刻みつけた十字架があるのを見て思わず笑った。
(君を誕生させたのは―――この僕だ)
とても奇妙な満足感があった。
「は、はははは、はっ!」
血を吐きながら男は笑いだした。
ああ、やはり僕は何一つ間違っていなかったのだ!!

(何なんだ、こいつっ!?)
どうして笑っていられるんだ。
結局この男は死すらも恐れていなかったということか?
くそったれ。返せ。
私から奪ったものを返せ。
お姉ちゃんをかえせよ。
もう叶うことがない事だと分かっている。だが彼女は手を止めなかった。
止められなかった。
既に事切れている男の身体に何度も何度も刃を突き立てた。
その刃が彼女の支配から解放され形を失い、ぼろぼろに崩れ去るまで。

雨音が聞こえる。
グラシィは大量の返り血を浴びたまましばし呆然と座っていたが、
何かを思い出したように立ち上がった。
机の上に置かれた姉の亡骸。そっと目をふせてやる。
お姉ちゃんだけはせめて、自分の手で弔いたかった。できるかぎり身体を奇麗に拭いた。
運べるかな。恐る恐る抱えたその身体は、驚くほどに軽かった。

そのまま出て行こうとしたが、ふと床に目をやると姉がかけていた眼鏡が落ちていた。
涙が出てきた。
持ち主を無くしてしまったそれを、血に濡れた手で拾い上げた。

ドアを開ける。まだ雨は降り続けている。
返り血と、涙と、この身に起きた出来事すべてを洗い流してくれているようだった。
「まるで天然のシャワーよねぇ、ほんと偉大だわ雨って!」
グラシィは雨が嫌いだったが、姉は呑気にそんな事を言っていた。
だがもうその声は二度と、聞けない。

ただその魂の安らかなることを、彼女は祈った。
見晴らしの良い丘に生えた一本の木。
その根本に晶の力で穴を穿ち、彼女を守り続けてくれた姉を埋葬した。


人にあらざる力を手に、拭いきれない喪失感と心の傷を抱えたまま、彼女は歩き出す。
いずこかへ向かって。






前へ     戻る     次へ