心に刺さった棘が、彼女をずたずたにしている。
ディードにはそれが分かっていた。
彼はだからこそ、彼女が棘を気にしなくて済むよう・・・つとめて優しく振る舞っていた。
いつかの自分を見ているようでいたたまれなかったから。
戦いは終わらないと信じていた頃の自分に。
「よっし、仕事終了!」
「相変わらず早くて助かるよ。ご苦労さん!」
「やぁ、そう言っていただけると有り難いです旦那。今後ともごひいきに!」
「何だい、もう帰るのかぃ?折角良い酒が手に入ったのに」
「また次の楽しみにしておきますよ!ではこれにて」
代金を受け取ると手を振り、風のように去っていった。
「ありゃ・・・ディード君もう帰ったのかい、お土産にお菓子あげようと思ったのに」
「女将さん、小さい子じゃないんですからお菓子は何か違うよーな・・・」
「ふむ・・・・・・女、かな」
オプスキュールの街の一角、商店で働く面々はそれぞれ思いにふけった。
仕事が無事に終わると安心するのはいつものことだが、今日は特別だ。
(さて、なにから話したもんかな?)
街に来るまでずっと考えていた事を、再び頭の中で考えながら彼は街を歩いていった。
「よぅディード、ご機嫌だね!」
「仕事終わりだからな!」
「遊んでいかない?」
「金があったらね。健康には気を付けなよジェニイ」
ふらふら街を歩いているだけで、あちこちから声をかけられる。
人徳というものであろう。
「おやっ、ディードじゃねぇか」
「あれっ、ルバートさん!」
彼もまた、バレルハウスの常連である。力自慢で雇われ用心棒として働いていたりする。
「なーんだ、最近見ないと思ったらこっちで仕事だったんですか」
「おうともよ。ようやく終わりが見えてきたんでそろそろ戻れそうなんだけどよ」
「大変そうですねぇ」
「お前は仕事終わったとこか」
「わかります?」
「分からいでか」嬉しさが滲み出ている。
「道中気ぃつけてな。まぁ、お前なら大丈夫だと思うけどよ」
「ありがとーございますっ。それじゃバレルハウスで!」
足早にかけていくディードの背中を見ながら
「ついに告白でもするのかねぇ・・・?」
雇われ用心棒は小さく呟きながら雇い主の家へ戻っていった。
グラシィはいつものようにバレルハウスの扉に手をかけた。
からんころーん、と呑気に鐘が鳴る。
音に気付いて店内に居た数名がグラシィの方を見る。
「・・・・・・どうしたのよアンタ達・・・?」
店内の空気がおかしかった。
いつもはざわついているのに、妙に静かで、張りつめている。
カウンターの奥から二番目の席、その上に置かれているのは一本の曲刀。
ディードが持っていた柄も鍔も刀身も真っ黒の刀。
(何故だ?)
そこに在るべきものがない。
これだけしかのこっていない。
彼女は直感的に悟った。
「死んだ・・・・のか?」
そんなことがあってたまるか。
死とはこんなに唐突に訪れるものか?
「ああ・・・ディードは、死んだ・・・・・・!!あいつは、反撃をしなかったんだ!
襲ってきたのが顔見知りばかりだったから」
ルバートの言葉にその場にいた全員の顔が凍り付く。
「ど、どういう事ですか・・・・」
「顔見知りに殺されたの!?」
「おれにも、分っからねぇよぉ、ただ俺が見つけた時は
魂抜かれたみてぇに呆けてる連中とディードの死体が・・・」
反撃を、しなかった?
ばかな男。私は己のために他者を殺し続けてきた。
誰だって極限に追い込まれたらそうだと思って生きていた。
(あんたは違ったのね・・・本物の大馬鹿者だわ)
呆れるのと同時に、流石だと思った。
ただ、この湧き上がる喪失感は何なのだろうと思った。
(死とは・・・唐突なものだった。あの時と同じで)
まるでお姉ちゃんが居なくなった時のような。
(私は、また間に合わなかった)
なにも気付かなかった。調停者に予知の力はない。
彼女は常に何かに引き寄せられるように、罰するべきものの元へ辿り着く。
(くそったれ・・・)
同じ事を繰り返している。こんなことになるならば、関わらなければよかった。
グラシィは深い息をついてその場を去った。
不思議と涙は出なかった。受け入れたくなかったのか、涙が枯れてしまっているのか分からない。
ただ彼女は取り憑かれたようにオプスキュールへ向かった。
「あの事件の加害者?商店の旦那も花屋のロゥ君も娼婦のジェニイも、
みんな精神病院行っちまったらしいぜ」
情報屋から聞き出せたのはそこまで。
なぜ、普通の人々が寄って集ってディードを殺したのか。
人を人でなくしてしまう「何か」が存在する、ということか?
まったく解せない。
憤りのぶつけ所が分からぬまま、彼女は淡々と仕事をしながらアインザッツに戻る。
この乾きは癒えることがないのだろう。
たとえ浴びるほど酒を飲んでも。
開店前のバレルハウスでアパッショナートは店内の掃除をしていた。
「ディードさんが亡くなってからもう一月ですか・・・・」
「早いわねぇ」楽器を磨いていたリーヴェが答える。
「今だに信じられないです・・・」
「あの人は、グラシィさんの事をどう思ってたんでしょうねぇ」アートが呟く。
「本人じゃないから分からないけど・・・傍目には、バランスが取れてたわ」
「そうですね。中々、似合いの二人でありました」夕刊をめくりながらマスターも答える。
「多分あいつは、もっと長生きしたと思うのよね・・・そんで、あの女の性格をちょっとは直してくれたかもしんない」
「たしか、ラメント出身でしたよね?」「そう。確か15で戦場に出たとか言ってたかなー」
「死神と恐れられていたそうで」「強かったんですかねぇ」
「まぁ、私らが思ってる以上に壮絶な過去持ってたのかもね」
「あのひと、場を和ます天才でしたからねぇ。運び屋の仕事もあの愛想の良さで好評でしたし」
「良い男だったわ。ほんと・・・」
「“マスター、いつもの”が口癖で」「ああ、言ってましたねぇ。懐かしい・・・」
ばたん、とリヴェメントが楽器のケースを閉じる。
「奴がいなくなってからのグラシィが怖いのは私だけかしら?」
「・・・黙々と、飲んでおられますな」ひかえめな表現でマスターが言う。
「なんかこう、近寄りがたいオーラがありますよね・・・あの剣そろそろどうにかした方が・・・」
今もディードの残した剣はカウンターの一番奥の席に置かれている。
「グラシィさんに差し上げるべきだと思っているのですが・・・」言い出せる空気ではない。
「仕方のない女ねぇ〜悲しんでるならしおらしく泣き崩れるなりすりゃいいのに」
カウンターを拭きながらアパッショナートが呟いた。
「悲しみ方もいろいろあるって事なんじゃないですか?」
「それは一理あるかもしれませんね・・・」
事実彼女は泣いていたのだ。
だれも、自分自身すら気付いていないけれど、心の奥底で。
杯を重ねてもかさねても、この乾きが癒えることはない。
ほんの少しだけ融けた心が、またガラスに戻ってしまったように感じた。