誰か誰か誰か。
お願いだ。助けてくれ。

大都会の電気街、人の流れがたえることのない交差点。
それはたえず踏みつぶされている。
踏みつぶされては再生され、帰ろうとしても帰ろうとしても住処に戻ることはできない。
ああ、早く帰らなければ。
電源をおとさなければならないのに。


フレデリカは、5センチ四方の羊羹と化していた。
そのことに気付いたのは、大都会の交差点に放り出されてからだった。
いやに低い視界。
容赦なく襲い来る足、足、脚、足。

「電源をおとしてみな。
 それができなきゃあ、未来永劫その姿のままだよ」
嘲るようにフレデリカにそう言ってきたのは、一体どこの誰だったのか?

迫りくる足を避けても避けても、避けた所に次の足がくる。
ぷちゅん、と潰される。
激痛を感じながら何度も再生される。
行き交う人々は、誰も彼に気付かない。

(いっそ、殺してくれ……!)

なんで誰も気付かないんだ。馬鹿じゃないのか。
おかしいだろ。目ぇついてんのか。どうかしてる。
頭悪いんじゃないのか。
なぜだれも気付かないんだ!?

未来永劫に、と男は言った。
(ああ、帰らないと。帰らないとずっとこのままだ……)
焦りは虚しく空回り。
それは何度も何度も踏みつぶされている。
誰も、誰にも気付かれないまま。



大都会の片隅にある安アパートの一室で、男性の死体が発見された。
季節は冬。近隣住民が異臭に気付き、通報した。
ほとんど何もない部屋に不釣り合いな大型のディスプレイがあり、
キーボードに顔を伏せるようにして男は椅子に座ったまま死んでいた。

「何ですか、またネトゲ中毒ですかね?」
「さてね。ただ……あらゆる物事は自分に返ってくるからなぁ」
「因果応報というやつですね」
などと呟きながら、捜査員は無意識のうちに本体の電源をおとしていた。

接続は途切れた。

帰るべき肉体を失ったことも知らずに、彼は今宵も行き交う人々に踏みつぶされている。
無情に無関心に残酷に。
それが他世界に干渉した罰だということさえも知らずに。





< 第30話 明日へ繋がる道 −後編− >



「全て忘れて、私の分まで生きて下さい」
かつて彼は、そんなことを言われた。
勝手に委ねられても困る。
おまけに何もかも全て忘れてしまうことが本当に幸せだったのかどうか。
考え続けているが、今も分からない。
(だから……)
(だから、返してあげます)
遙か昔に、彼に望みを託したものの声。
(あんたは見えないけれど、まだ居るんだな)
この世界のどこかに。


誰かが泣いている。
なんだかそれがとても珍しいことのように感じる。
顔の上にぽたぽたと落ちてくるこれは、何だ?
「この馬鹿っ、さっさと目ぇさませっ」
怒鳴っている。知ってる声だ。
なにもこんな近くで怒鳴らなくていいじゃねぇかと思う。
「大体、目ぇ閉じてるとどっちが顔なのか分からないじゃないかっ」
「……けっこうな、言い草じゃねぇか」
「どわぁあっ!?」
城壁の外の草むらで、影は目を覚ました。
「すげーなおい、今度こそ死んだと思ったのに……」
そう思って影は身を起こす。
なにかいつもと違う気がした。しかし、何が違うのか良く分からない。
「生き、てる……」
「なんだ? 泣いてたのか」
「泣いてないっ!! アタシはそんな涙の無駄遣いはしない主義だよっ」
しかし、こいつは昔からよく泣いていたような気がする。

ぽかぽかと日の光が温かい。どこからか風が吹いた。
「死に損ないのくせに」
「……ま、その通りだな。俺ぐらいその言葉がぴったりな奴ぁいないだろうよ」
余裕ある態度が気にくわない。
「あんたねぇ……」
悪態をついてやろうと思ったが、おかしなことに気付いた。
あらゆる物質に触れることのできない影が、草を手にしている。
「触れるの?」
影が戸惑いながら、ぶちりと草を引き抜いた。
「……どうやらそうらしい。どうしてなのかは、俺にも分からねーけど」
立ち上がりぼんやりしていると、やわらかく吹く風に、抜いた草が舞い上がった。
(感覚が、ある……)
そうか、違和感あったのは、自分がうすっぺらい影ではなくなっているからだ。
何も掴めないと思っていた掌だが、幸か不幸か生き延びてしまった以上、
なにかできるのかもしれない。
しみじみ考えていると、がしりと腕を捕まれた。
「へ……?」
ネコミミの背中が見える、と同時に天地が逆さまになる。
鮮やかな、一本背負いが決まった。
影はしたたかに背中を打った。

「ふはははは、ざまぁみろ、一本取った!!」
無邪気に勝ち誇っているネコミミ。
「……ああ、これが痛ぇってことか。ひでぇことすんなお前」
今の半分ほどの背丈しかなかった頃から、勝負の度に返り討ちにしてきた奴が言う台詞ではない。
「あははは、暫くそこで寝転んでなさいよ」
足取りも軽く、ネコミミは城へともどっていった。
影は寝転んだまま、天に向かって掌をかざす。
指の間から見える空は、どこまでも澄んでいて美しかった。




避難板で復旧を今か今かと待ちわびていた住人達に、吉報がもたらされた。
「ようやく復活したみたいだよ!」
「祭りか!」「祭りだな!!」
「そうだ、記念カキコに行こう」
「降臨キタ−(・∀・)!!」「うぉお、絵板の羊羹も消えてる!」
「猫画像貼り付けなきゃ」「ツエツエが脱いだぞ!」
「いや長かったね。生活の一部になってるからどうにも落ち着かなかったよ」
喜々として、住人達は戻っていく。
それぞれに、他に気に入りの場所だってあるけれど、
慣れ親しんだ板に戻ると安堵の溜息がもれた。

この国の、あるいはよその国のあちこちで。
画面の前にいる誰かも同じように、ほっとしているところだろう。
だれも、電脳の向こう側で起きた戦いのことなど、知らない。
知りようがない。
それでも人々は、メンテナンスが終わった喜びを分かち合った。
年齢も性別もパソコンのスペックも違うけれど。一つの想いを共有したのであった。


アオリが眼を覚まして初めて見たのは、勉強机に乗っているノートパソコンの画面だった。
(戻ってこれた……!)
いまここに、見慣れた部屋にいる自分。
顔に触れると、温かい。手触りがちゃんとある。
そうだ、鏡を見てみよう。
いつも通り、冴えない自分の顔が映った。
(良かった……)
なんだかわからないけれど、涙が溢れて仕方がなかった。
現実の中に電脳があり、その向こうには幻想があった。
どの世界でも、同じように生き、泣き笑う人々がいたのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
この世界から見れば、投下される羊羹は単なる暇人の悪戯だ。
それでも全ては、複雑に繋がっている。
あの世界では幽霊の如く透き通っていた私も、こっちには脈打っている身体がある。
発言の向こう側には必ず人がいる。文字や写真や絵だけで構成されるネットの世界でも。
だから、そのことだけは忘れないでいよう。

(私はこの世界で……生きていく)

現実は厳しいから、時々はネットに逃げてしまうだろうけど。
同じように現実と闘う力を得るために、集っている人々の体温を感じながら。

画面の中では、名前も顔も知らぬ人々が大いに襲撃が終わった事を大いに喜んでいる。
いくらでも嘘が書けるこの世界で、彼等は素直に喜びを表している。
少し前まで、何がそんなに嬉しいのかと馬鹿にしていた。
(だけど、心の一部を預けている場所が無事だってことはきっと……)
とても大切なことなのだ。
情報を得るために、人と関わるために。
つかず離れず寄り添って、難破してしまわないように人々はネットの海を渡る。
渡り方は人それぞれで、何が正しいかはまだ分からないけれど。

開かれている自由な世界を拒むことはない。
そこに繋がることでしか、得られない力もある。
後悔は消えないだろうけど。生きていることそのものが、申し訳なくなるかもしれないけど。
それでも恐れずに、明日へ繋がる道を切り開いていこう。

生きてゆくために。





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