(駄目だ。そっちへ行くな――――“雪”)
お前は戻ってこなければならない。この国を、この世界を守護する者として。
「室長?どうかしましたか」
側にいた七寸五分という変わった名前の少年が問いかけた。
「あれは、闇に囚われている」
珍しい。室長が表情に変化を見せた。七寸五分は心の底で感動した。
「七つ星が羊羹に、汚染されているという事ですか?」少年のわりに頭の回転が早い。
「・・・そうだ」
七つ星に同行する目付役は何をしていた?思わず渋面になった。
「抜け出せるか否かで彼女の、いえ我々のこの先が決まりますね」
(必ず生きて戻ってこい)
それは、祈りにも似た気持ちだった。
この国や世界の行く末などよりも、お前の命一つが助かるならばそれで良い。
だからかえってきてくれ。
自分の子供一人すら護れないならば、私に親を名乗る資格は無い。
室長とよばれた男―――六道滅紫はそう思った。
誰かが呼んでいる。
でもそれは私の名じゃない。
聞く度に、どうしようもなくイライラする。
それは何を示しているの?
何処にも分かる者など存在しない。
なぜなら、実在するか否かも分かっていない肩書きだからだ。
最高官位「七つ星」――――当主たる六つ星、守護の影となり国を支える者。
どうして私が?
厄星と罵られ、礫を投げられ、村を追われたこの私が。
わからない。だから彼女は、ひたすらに剣を振るっていた。
求める答えがその先に有ろうが無かろうが、知ったことではない。
ただ、衝動のようなものがある。
滅ぼせと、何かが内側から叫んでいる。
わたしを望むことの無かった世界など、滅んでしまえと。
考えることに疲れた。狂気に身を任せる方が楽だ。
もうどうでもいい。使命なんか知らない。もうなにもいらない。
(早く・・・・行かなければ)
はなげは、急いでいた。それと同時に自分の尺の短さを嘆いた。
東国というより寧ろ遠国だよ、とくだらない事を考えながらそれでも力を使った。
あの二人を救うには、自分が東国へ行くしかない。
約束をしたのだ。牢から出してくれたあのシスターに。
だからそれを、果たさなければならない。
東国にいる二人と共に、創造主の元へ行かなければならない。それが、自分の守るべき約束。
もはや、老人の体力には限界が見え始めていた。
足取りも徐々におぼつかなくなってきた。息は上がりっぱなしで、目もだんだん霞んできた。
『おぃ、冗談じゃねーぞ主!しっかりしろよ!!』
槍に叱咤されているが、さすがにやばそうな感じだ。
「儂は・・・・・」
どうするべきだったのか。既に後悔の念が頭を過ぎる。若い頃の自分ならばどうしただろうか。
敵を容赦なく倒さねばならない、凍えた戦場の中でなら、この少女を躊躇いなく殺せただろうか。
(いや、違う。断じて、そういう事ではない)だんだん意識も朦朧としてきた。
「巫女殿、お願いじゃ・・・!戻ってきてくれ」老人の目からは、何故か涙が流れていた。
それを見た巫女は、驚きのあまり七星刀を落とした。
私のために、泣いてる・・・・?どうして。何の関係もない人が。
「うるさいっ、何度言ったら分かるんだ!もう巫女なんか何処にも居ねぇよ」
口が勝手に動いている。自分を動かす何かの存在を、彼女は強く感じた。
「あたしは、自分を否定した世界など守る気にはなれないっ!!」
巫女が喉の奥から吐き出すように言った。
呆気にとられたのは老人の方である。巫女が本心を語っている。
(もしや、抑制されていた本音・・・なのか?)
七つ星ともなれば、仕事ばかりで弱音など吐けないのだろう。
例え世界と向き合いたくないと思っても、向き合わねばならない現実。逃れられない重圧。
それがこの少女を苦しめていたのだろうか。今までずっと。
巫女は刀を拾った。老人は攻撃に備え、最後の力を振り絞り、槍を構える。
あたしは、何なのだろうか。巫女は自分の意志では動かない体で、それでも考えていた。
厄星でも七つ星でも要でもない、私自身というのは?
ボロボロな老人が見える。
自分の意志とはおかまいなしに、ゆっくりと自分の腕が七星剣を振り上げる。
(駄目・・・・・っ!!)
この人は、何の関係もない、私のために泣いてくれた人。
誰か、誰でも良い。
私を殺してでも良いからこの人を―――――――助けて!
そう願った瞬間、目の前に光が溢れた。
暖かな光。なんだろうこれは。
だれかの優しい温もりに包まれて、体の感覚が徐々に戻ってくるような気がする・・・・
(もどっておいで、青藍)
何処からか、声が聞こえた気がした。あぁ、そうだった。
せいらん。母さんが付けてくれた、私の――――名前。
二度と忘れるものか。「とうさま・・・・」私を呼び戻してくれたのは、あなたですか?
ぐらり、と体が揺れるのを感じたのを最後に、巫女の意識は途絶えた。
老人は目の前の光景が信じられなかった。
ぱちぱちと瞬きをしてみる。どうも夢ではなく、現実の事らしい。
「間に合ったのか・・・・・・や、やりおるのぅはなげよ」老人は、はなげと会話出来る唯一の人物である。
(いぇいぇ、あなたが時間を稼いでくれたおかげですよ)
互いにへとへとな要達は、倒れた巫女を見つめた。
介抱に行くことも出来ない位疲れている。老いが歯痒かった。
「もう、大丈夫なんじゃろ?」ポツリと、老人が言った。
(羊羹汚染の浄化はしました。後は彼女次第でしょう)
迷い悩む事があっても、顔を上げて生きていけるか否かは本人にかかっている。
『よかったじゃねーか主。万事解決とまではいかねぇが、どうにかなった』
槍に言われて老人は笑みをこぼした。
「そうじゃな・・・・・皆、命は無事じゃし」最悪のシナリオは避けられた。
(怪我したり力使い果たしたり、みんなボロボロですけどね・・・・)
はなげも笑っているような気がする。
今、みんな此処にいる。それがとても、素晴らしいことに思えた。
地べたに仰向けに寝転がり、暮れゆく夕日を見つめながら、老人は式神を飛ばした。
じきに近くの五芒星の屯所から救助が来るはずだ。
巫女が目を覚ましたら、儂が如何に頑張ったかを語らねばと老人は思った。