詠唱も無く陣も見えず、いつの間にか敵の術中にはまっている事がある。
それは言違え、というもので
異形の者との会話の中でごく自然に始まっていることがある。
ゆえに我々は、呪の始まりを見極めなければならない。
その森は巨大な力で守られている。ヒトには見つけることはできない。
「六道はん、この黒いの食べてもええ?」羊羹を捕まえた子鬼に言われた。
「・・・あまりお薦めはしない」
「中々美味いぞこれ。けしむらさきも食ってみたらどうだ」
そう言う大鬼は、畳一畳分の手の平に、大量の羊羹を団子状にしたものを持っていた。
古い読み方で名を呼ばれたが、彼は全く気にしない。
「それは人にとっては有害なものだが、平気なのか?」
「多分。だがやたらと茶が欲しくなる。なんだこれ・・・」「儂は好かんのー」
「あ、ほんまや甘〜い♪」「うん、なかなかですね。凍らせても美味しいかも・・・」
がつがつ羊羹を食っているのはいわゆる“妖怪”と呼ばれる者たち。
「延々これを食べることが仕事?」「正確には、これを排除すつことが仕事だ」
「この国の中に一つも残すな」
「御意」「わかった」「了解〜」あちこちから声がする。
「ほんなら、都から南はうちらが伝えておきます」
「北は儂らに任せておけ」
「まかせた。汚染された人間は屯所へ連れて行くよう指示してくれ」
「儂らアヤカシについてきますかね?」
「・・・生き死にに関わることだ。泣きわめいても連れてこい」
意外と過激な発言をかます室長であった。
「では、これにて」「御前失礼します」
音もなくアヤカシ達は闇の中へと消え失せた。
後に残ったのは鬼の親子と、半分鬼の血をひく六道滅紫のみ。
「なぁ、六道はん・・・」
「何だ?」
「ムスメさん、無事だったんやろ?」
「・・・そうだが。どうかしたか」
「帰ってきたら、お祝いしようや!みんなで」
にっこり笑って子鬼が提案した。
珍しく、七つ星の父も笑った。
「そうだな。祝ってやろう」
全てが終わったら、必ず。
ヒトも人外も鬼も・・・同じ火を囲み、同じ場所で飲み、食い、騒ぐ。
それはきっと、とても幸せな光景に違いない。
危機を乗り越えた暁には、人と妖の境界は薄らぐだろう。
すべては宵闇の中でのこと。妖もまたヒト無しでは生きていくことができない。
剣を抜いた瞬間、彼はほとんど無意識だった。
ただ己の迷いを断ち切るために何かしなければいけない気がした。
暗闇の中、どこから声が聞こえているのか分からない。
それでも、剣を抜くことで彼は一つの解を得た。
もし問いを投げかけてくる者に姿形があれば、動きに反応する気配がある筈だ。
だが、何の気配も無い。
抜いた剣で、左の手のひらに傷を付けた。
血が流れる感覚がある。熱い。
いきている。
希望を持つことができる。
たとえ暗闇の中であっても。
「幻想を口にするな・・・死んだ者は生き返らない」
どんなにそれを望んでも。
仮に俺の命を投げ出した所で死という現実は変わらない。
この現実が、覆るはずがない。
彼は怒っていた。
この問いを投げかけてきたものは、何も分かっていない。
己が犠牲になれば失われた命が戻るなどという、
都合の良い奇跡など、ありはしない。
「だから命ってのは、尊いんだろうがッ!」
左手から流れた血が落ちる。
その血が土の上に弾ける。
聞こえるはずの無い音を、暗闇の中確かに聞いた。
カントは剣を納め、問いを投げかけてくる者に向き直った。
「姿無き者、女神の血族コンフィナリスの子息カントが告ぐ。
すみやかに祭壇への道を示せ。
この地の守護者として、 汝が闇を受け入れる」
呪いを断ち切る方法など分からない。
ただ彼は、受け入れるしかないと思った。
他がために死すことを、どこかで望んでいる自分自身を含めて、
この状況と、理不尽な問いと、自分の迷いと、それを嘲笑う者・・・全てを。
受け入れることは許すこと。
あらゆるものを。
己の運命も、奪われた命も、危機に間に合わない神の事も。
すべてを認めること。
長い沈黙のあと、声がした。
「そなたのゆく道に幸いあることを祈ろう。行くがよい・・・」
その言葉が終わると、重たいものが動いているような音が聞こえた。
目の中に飛び込んできたのは、
(・・・光・・・・・・)
それは神の恩恵。
左右に開がっていく。
光は地下道の闇を打ち消すかのように、カントの眼前に溢れた。
これほどまで、光というものを有り難いと感じたことはなかった。
命あるもの全てに分け隔て無く降り注ぐ光。
いつの間にか、かれは自分の両眼から涙が溢れていることに気付いた。
扉が開ききってから、涙を拭い、彼は扉の向こうへ歩き出した。
光の射す方へ。