扉を抜けた先には、真っ白な空間が広がっていた。
なんとなく真っ昼間の病院の通路を彷彿とさせる。
はて、どうやって帰るのだろうとアオリが首をかしげていると
「あれっ、アンタこんな所で何してんの?」
金髪ヘソ出し、ショートパンツに真っ黒なブーツ、おまけに背中に黒い羽根らしきもの。
いきなり声をかけてきたやたらとスタイルの良い女をじっと見つめて、アオリはたじろいだ。
しかし、たじろいでいても仕方がない。
「ええっと、迷子になってしまいまして……」
「成る程ね。ここは電脳と現実の狭間だから時々アンタみたいな迷子も居るのよ」
「……そうなんですか」
「ついておいで、案内してあげるからさ」
ぱたぱたと、背中の黒い羽根がはためいた。
(作り物じゃなかったんだ)
謎の女に導かれるまま、アオリは白い空間を歩いていった。
しばらくすると、壁のない部屋のような場所に出た。
本棚が並び、床には書類が山積みになっている。
「部長、迷子ですよ〜」
「おやおや、久しぶりだねぇ」
答えた男は椅子に腰掛け、机の上に頬杖をついて書類を見ていた。
ウェーブのかかった髪も、長く伸ばした髭も灰色。
長いローブを着ていて、絵本に出てくる魔法使いみたいだった。
「さて、娘さん。君はどうしたいのかな?」
ニコニコと微笑みながら、男は問いかけてきた。
人畜無害な笑み。初めて会ったのに気を許してしまいそうになる。
「どうしたいって…………あたしは……」
「起こってしまった出来事は変えようがない。
このまま彷徨い続けるもよし。戻るもよし。止めはせんよ」
穏やかな声だった。
あたしは本当に罪深いやつだ。
こんな甘えたこと言って、許されるのかどうか分からない。
それでも。
「元居た世界に、帰りたい……です」
もう一度、自分自身と向き合うために。
闘わなくちゃいけないものから目を逸らさないために。
己の存在そのものが、ぼろぼろと崩れ去っていく。
この光は、全てを容赦なく無へと返す。
回転する光の輪がざっくりとフレデリカは、辛うじて動く口で目の前の神を罵った。
「いい気になるなよ……どうせ……また同じ事をする奴が出てくる!」
無駄だ。
ひとつ送り返した所で同じだ。
悪巧みをする人間はどこにでもいる。
理由なんてなくても、ここを壊したい人間はいる。
「その時はまた、返り討ちにするまでです」
世界を創り出した者が、冷ややかな瞳で消えゆく自分を見下ろしている。
「……消えなさい」
光が、王の間いっぱいに広がった。
荒らし大王フレデリカは、この世界から完全に消え去った。
大量の羊羹たちが、ぴたりと動きを止めた。
「きゅ?」
倒しても倒してもうぞうぞと合体して襲いかかってきたのに、
糸が切れた操り人形のように不気味に静止した。
「何だ……?」
反帝国軍の兵士達も、異変に気付いた。
「ふむ、フレデリカが去ったかのぅ……」
おじいさんが馬をなだめながら、動きを止めた羊羹の表面に触れる。
凍り付いてしまったように固まっている。
きゅーちゃんが果敢にかじろうとしているが、歯が立たないらしく悔しがっている。
「今後のために一つ二つ国に持ち帰りたいところだな……」
「いや、また動き出すかもしれねぇし」
兵士達の間になんともいえない動揺が広がっている中、後方の空に撤退の狼煙が上がった。
「えっ、引き上げていいのか!?」
「歴史的勝利の瞬間にしては……あまりにも、わけがわからないなぁ」
「まぁ、さっさと帰れるんだから良いじゃねぇか」
「報酬は出るみたいだし。そのへんキッチリしてるからあの総帥は好きだよ」
どこかの傭兵団らしき男達が、武器を収めて歩き出した。
汚染されている者たちも、一様に動きを止めた。
「あいつら、息してるよな?」
「止まってるのは羊羹だけなんじゃないか? 理屈はよく分からないけどよぉ」
(シスターを呼んだ方が、よさそうですね……)
老人の肩に乗っかっていたはなげがそう訴えた。
「そうじゃな……よし、城へ行って呼んでこよう」
未練がましく羊羹に挑んでいるきゅーちゃんと、その様子をつぶらな瞳でじっと見ているぶーちゃんを残し、
王の間に向かいながら、老人は思った。
(こんなに妙な戦は、古今往来無かったであろうな……)
王の間から光が消えると同時に、フレデリカの姿は消え失せていた。
巫女は刀を鞘に納めた。自分が目にしているものが信じられなかった。
本来の力を取り戻した創造主がそこにいる。
なぜか悲しげに微笑んで、その姿がゆらいだ。
「ちゆっ……!?」
駆け寄ったネコミミの腕の中で、創造主は元の少女の姿に戻った。
そうして、何かを囁いて眼を閉じた。
呆然としているネコミミの傍らに、シスターが歩み寄る。
「大丈夫ですか?」
「……あぁ。どうやら力を使った反動みたいだよ。どこか休めるところに運んで……」
「案内するよ」
どたばたと人型の要達が去っていき、王の間に取り残されたチュンチュンが、ぽつりと呟いた。
「影が、おらん……」
探知能力を使っても、その存在を感知することができない。
彼が乗っ取られていた時のようだ。
(どういうこっちゃ?)
ちゆを客間に運び込ぶと、ネコミミはその場を他の者に任せて客間を出た。
何かに急き立てられるように駆けていく。
「おや、猫耳殿……?」
老人が声をかける間もなく、ただ前を見て一心不乱に走り抜けた。
(あれが、若さかのぅ……)うむうむ、と一人で頷いていると、
「大丈夫でしたか、おじいさん?」
「おぉ、シスター殿。幸いわしも他の者も無事じゃよ。しかし、羊羹が静止してしまってのぅ……」
「停まったんですか」
ベンバヤシも部屋から出てきた。
「そうじゃ。汚染された者達も、息はしておるが停まってしまったのでな、シスター殿なら治せるかと思うて」
「成る程、興味深い現象ですね……そういうことになるのか」
眼鏡のずれをわずかに直しながらそんなことを言っていると、シスターに足を踏まれた。
「不謹慎です。まだ貴方の仕事は残ってるんですから真面目にやって下さい」
しずかに憤慨しながら、シスターは老人と共に歩きだした。
痛みで声を失っていたベンバヤシは、しばらくその場にうずくまっていた。
『再起動マデ、後162311秒……』
「おぉー、發!!」
カチカチ、カチカチカチと奇っ怪な音がしている。
恐らく、發の内部では自分が理解できない仕組みが動き回っているのだろう。
「……サイキドウ、ゆーたら影もそういう状態なんかもしれんなぁ」
ぽりぽりと頭をかいて、再起動した發を研究塔に運ばなければと思っていると、部屋が明るくなった。
王の間の、四方にある燭台に火が点いている。
(フレデリカが消えたから、か)
城そのものが、主の帰還を待っているのだ。
「そーいや、ここの王サマはどこにおるんやろ?」
独り言をつぶやくチュンチュンをよそに、炎は静かに揺らめいている。
鬱蒼と茂る森の中、17歳は体の自由を取り戻した。
「あれ・・・・・? どうしてこんな所に」
思い出せない。
なにか凄く、楽しい考えに取り憑かれていたような気がするのだが、
目が醒めたら忘れてしまう夢みたいに、きれいさっぱり無くなっていた。
「・・・ま、いいや」
大きく伸びをした。身体じゅうにようやく血が巡り始めた感じがする。
「近くに街があるといいんだけど・・・」
17歳は歩き出した。
眠っている間の出来事を、何一つ知らぬまま。